国境のない才能 — 日本の才能を世界へ、世界の才能を日本へ
才能に、もとから国境はない。それを取り巻く仕事のほうが、ようやく追いついてきた。日本の才能を世界へ、世界の才能を日本へ。少数精鋭で多言語、技術志向の越境型エージェンシーが目指すもの。

才能に、国境はない。聴衆のほとんどが解さない言語でも、声はその場の空気を変える。字幕がなくても、表情はひとつの感情を運ぶ。舞台の上で、カメラの前で、レコーディングブースの中で人を惹きつける何かは、どんなパスポートよりも古くからある。
けれど、その才能を取り巻く「仕事」のほうは、ずっと国境を律儀に守ってきた。事務所は土地に根ざして育つ。契約も、商習慣も、人脈も、ひとつの市場の中に留まる。だから、もっとも稀有な才能を持つ人ほど、国内に留まりがちだった。才能が国内向きだったからではない。その人を支える仕組みのほうが、国内向きにできていたからだ。
OJI Entertainment は、その一点だけを変えるために存在している。東京を拠点とする、少数精鋭・越境型のタレント&モデル・エージェンシーだ。モデル、俳優、ミュージシャン、クリエイターを、あえて絞り込んだ形でお預かりしている。私たちの存在理由は、ひとつの言葉に集約される。日本の才能を世界へ、世界の才能を日本へ。 国境を越える越境型エージェンシー、それが OJI Entertainment だ。

「越境」とは、具体的に何を指すのか
こうした言葉をサイトに掲げるのは簡単だ。難しいのは、それを本気で実践することのほうだ。私たちにとって越境とは、標語ではなく、いくつかの具体的な約束に落ちる。
双方向で預かる。 多くの事務所は、才能を一方向に押し出すように作られている。国内から海外へ、あるいは海外から国内へ。私たちは「往復」のために作られている。海外の舞台に立つべき日本のミュージシャン。その人にしか演じられない役のために、海外から東京へ招かれる俳優。複数の市場のキャンペーンにふさわしいルックを持つモデル。国境はこちらが運ぶ。タレント本人が背負うものではない。
六言語で動く。 箇条書きの飾りとしてではない。越境の仕事は、ほかのどこよりも「言語の継ぎ目」で壊れるからだ。翻訳の過程で、ブリーフの意図が和らげられる。「検討します」が「はい」と読まれる。ある市場では当たり前の契約条件が、別の市場では失礼に響く。英語、日本語、そして数言語をまたいで動くからこそ、多くの取引が静かに失っていく「意味」を、双方向で保てる。
意図して、小さくとどまる。 絞り込んだロスターは、私たちが詫びるべき制約ではない。それこそが狙いだ。数百人ではなく数人を預かるからこそ、その人を本当に理解し、何に向いているかを把握し、向かない仕事をきちんと断れる。「数より質」の少数精鋭は、タレントとクライアントの双方への約束でもある。
なぜ日本か、そしてなぜ今か
日本は、世界でも有数の個性的な才能を生み出してきた。仕事への向き合い方は深く、規律は本物で、感性は紛れもなく独自のものだ。日本の表現者が小さな役にも全力で、真剣に向き合う姿を見たことがある人なら、これはすぐに腑に落ちるはずだ。
それでも、その多くは歴史的に国内に留まってきた。理由のひとつは言語だ。もうひとつは、日本の才能を広い世界とつなぐ仕組みが、そもそもきちんと作られてこなかった、あるいはファクス一枚、電話一本ずつ、手作業でゆっくりと作られてきたことにある。
同じ摩擦は、逆方向にも働く。東京のプロジェクトでこそ輝くであろう海外の表現者やモデルが、その機会を得られないまま終わる。入り口、つまりビザ、契約の慣行、現場の作法が、外から見ると不透明だからだ。日本の越境の仕事には、実際のルールがある。そしてそれは、多くの海外タレントや海外ブランドが想定するルールとは違う。肖像の使用は買い切りではなく、期間を区切って許諾される。肖像の保護は、ひとつの法律ではなく判例の積み重ねに支えられている。海外から人を招くには、国内の起用には不要なリードタイムと受け入れ体制が要る。
才能は、もとから世界水準だった。それを世界につなぐエンジンのほうが、追いついていなかった。その隔たりこそが、すべての機会だ。
これは国内に留まる理由にはならない。むしろ、地形を本当に知る誰かを自分の側に置くべき理由だ。日本の才能を国内に留め、海外の才能を遠ざけてきた壁の多くは、結局のところロジスティクスと情報の問題でしかない。それはまさに、焦点の定まった現代的なエージェンシーが取り除ける種類の壁だ。
技術は、人の「代わり」ではなく、人の「ために」
私たちは技術志向のエージェンシーだ。そして、その言葉が何を意味するのかは、正直に語っておきたい。安易に使われがちな言葉だからだ。
それは、この仕事の人間的な部分を自動化で消し去ろうとすることではない。むしろ逆だ。誰がその役に合うかを見抜く目、何年もかけて築く信頼、難しい交渉での判断、こうした人間的な部分こそが最も重要であり、私たちが守りたい部分だ。だから、その周りのすべてに現代的なツールを使う。ブリーフとタレントのより速いマッチング、時差を越えたより明確で迅速なやり取り、この業界の一日の多くを食い潰す手作業の往復を減らすこと。
狙いは単純だ。仕組みに費やす時間を減らし、人と仕事に費やす時間を増やす。人にしかできないことへの「注意」を取り戻してくれる技術は、持つ価値がある。クライアントと人の間に摩擦の層を挟む技術は、そうではない。私たちはそれに関心がない。
少数であることと技術志向であることが、対立せずに噛み合うのもこのためだ。現代的なパイプラインがあれば、あえて小さく保ったチームでも、ロスターの一人ひとりに、はるかに大きな事務所が看板タレントにだけ割くような手厚さを向けられる。私たちが望むところでの「規模」は、長いリストではなく、より良いツールから生まれる。
私たちと関わる人にとって、それはどう映るか
タレントにとっては、起用を取引ではなく関係として扱うエージェンシーだということだ。私たちは、まっとうな事務所がそうあるべき形で登録を受ける。登録料は、一切いただかない。 私たちが報酬を得るのは、あなたが得たときだ。ふさわしい仕事を取り、あなたが本来考えなくていい部分、契約の文言、越境のロジスティクス、翻訳で失われがちなものを引き受けることで。東京での「はい」と、別の国での「はい」が同じ意味を持つようにするのが、私たちの仕事だ。
ブランドやプロデューサーにとっては、世界の間を実際に行き来できる、信頼できる窓口がひとつあるということだ。日本のキャンペーンがなぜその形で許諾されるのかを説明でき、海外から人を招くとは実際に何を伴うのかを語れ、東京の撮影に推測ではなく準備をして臨めるよう導ける誰か。巨大なリストと経験の浅い担当者ではなく、幅と目利きをひとつの窓口で。
この業界を見守るメディアや人々にとっては、ささやかで意図的な賭けだ。次の時代のタレント・マネジメントは、初めから越境であり、必要に迫られて多言語であり、その中心に人がいる、という賭け。その賭けをするのに日本はふさわしい場所だと、そして今がふさわしい時だと、私たちは考えている。
主張を、率直に
才能は、もとから国境を持たなかった。それを取り巻く仕事のほうが、ようやく追いつきつつある。私たちは東京の少数精鋭エージェンシーであり、多言語で、技術志向で、日本と世界の「往復」のために作られ、その中心に人間の判断を据え続けるために作られている。
それが、私たちにとっての「国境のない才能」の意味だ。国境が存在しない、というのではない。法にも、言語にも、ロジスティクスにも、それは明らかに存在する。だが、それを背負うのは私たちの務めであって、タレントの務めではない。あなたが自分の存在で、声で、技で、表情で何かを生み出すなら、世界はそれを見ることを許されるべきだ。それを少しだけ本当のことにするために、私たちは存在している。


